[整備戦略]2013年11月号~2014年1月号に掲載されました。
業界誌[整備戦略]2013年11月号~2014年1月号に渡って、弊社代表 永田貞義の、15歳で板金の現場に足を踏み入れてから現在までの、インタビューに基づく記事【この道50年、職人として、経営者として「真」のたたき屋家業をめざす】が連載されました。
大手整備会社、輸入車ディーラー、国内最大手メーカー系ディーラーなどでの経験と技術修練をバックボーンに独立した“たたき屋”だからこその思想と発想、そしてそれらを実現してきたこれまでが、全15ページに渡って記されております。
長文記事ですので全文を掲載することが不可能ですが、その一端をここで引用し、ご紹介させていただきます。
《先輩たちを飛び越えての挑戦》(2013年11月号掲載・上編)
しごきに対して「こんなことで負けられない」という負けん気以上に、「“たたき”というやつ、板金をやれば、やるほど好きになる」と板金の仕事に魅了され、その奥義を究めたい一心で人一倍努力を重ねた。
板金は個人の技能によって、仕上がりが大きく左右される。板金技能士試験を一発で合格し実力、能力を社内外に示し、大きな自信になった。ここから結婚も決め、今日の貞義の「たたき屋」の人生が始まったと言える。
《取引業者を「仏様」と呼ぶのは珍しい》(2013年12月号掲載・中編)
「永田鈑金は出入りしてくれる業者さんにも助けられているから、仏様と呼ぶ」と手を合わせての感謝だ。創業者ならではの苦労を経験し、取引業者に“恩義”を感じている。
部品、機械工具、塗料、保険、ディーラーなど、いろいろな業種の業者が永田鈑金に出入りする。
「商品や機械、工具を納めてくれなければ、お客さまのクルマは仕上げられない。また、それぞれの業者さんたちが教えてくれる情報は仕事に多いに役立つ」と取引業者の存在感、重要性を強調する。
《ディーラーの期待に応えられるような体制整備》(12月号掲載・中編)
整備需要の伸び悩みを背景に、大手のディーラーや整備専業工場が板金塗装を自社に取り込もうと内製化の動きが活発化してきた。この動きに、永田鈑金は最新塗装ブースの導入で対抗した。
(略)
「私はディーラーの社内外注で技術を身につけ、育ててもらった。ディーラーの苦労も分かるから、板金塗装の技術で恩返しをしたい」と専門業者として一歩先にたち、ディーラーの期待に応えられるような体制整備に取り組んだ。
《新品に負けない仕上がりを目指す》(2014年1月号掲載・中編)
入念に板金塗装の作業内容、工程をチェックして「板金だ、塗装だ、塗装だ、板金だ」と試行錯誤の末に、「塗装前の“下地”を思いついた」という。いわゆる塗の技法である「下地」の必要性にたどり着いた。
ある意味で、板金塗装作業の境地とも言える分野に踏み込んだ。
(略)
「下地作業で、最終的には板金や塗装の時間は短縮ができる。総費用、総時間にはほとんど変化がない。むしろ時間短縮もあるし、修理の方が新品部品の交換より安い」と指摘。
「いいモノを安くできれば、ユーザー、保険会社ともにメリットがあり、喜ばれるはず」と力説する。「これで板金塗装業が、社会的にも自動車修復の技術として大きく認められる」と長年の社会的地位の向上も図れ、業界に“恩返し”ともいえる板金塗装の革新である。
また、この連載記事を担当された日刊自動車新聞社出版部 中島公司氏から寄せられた後記も、その全文をここに引用・掲載させて頂きます。
前文の冒頭には 「中卒の私が、ここまでやれた。今、頑張れ。お天道様は見ている」とたたき上げられた熱い言葉が続く。上編で触れたが10代の住み込み修業時代に「クソッ! この野郎、覚えてけよ。この仇はとったる」と覇道的な血気盛んな時期もあったが、人生の節目、節目で家族や周囲の支えを知り、「王道」を悟る。そして板金塗装業の仕上げを極める過程で「下地」加工の必要性に辿り着く。ただ、保守的な業界で「下地」は、なかなか日の目を見ないが、王道の使命感で取り組む貞義に、一切の迷いはない。